知れば知るほど奥深い! キノカブ文芸部による『心中天の網島』のちょっとマニアックな豆知識[第3回]

第三回
女性おさん—語り継がれるその生き様—

関亜弓

「お初徳兵衛」「梅川忠兵衛」「お染久松」。日本の古典演目はこうして主役の男女二人の名前がその作品自体の通称となり、今日まで語り継がれています。本作も、紙屋治兵衛と遊女小春の哀しい心中物語であり「小春治兵衛」であることは紛れも無い事実ですが、私はなんとなくそう呼ぶ事に気が引けるのです。その理由を考えたところ…二人の背景にとてつもなく大きな存在、治兵衛の妻・おさんがいるからだということに気がつきました。
二人の子供を育て、夫の代わりに店を切り盛りし、挙げ句、夫の入れ揚げた遊女の身請けの代金まで工面する。そんなおさんを語る上で枕言葉のようについてくるのは、「貞女」「良妻賢母」「女の鑑」といった表現です。確かに夫の浮気相手のために金を工面する妻なんて、優しいを通り越し、お人好しが過ぎるレベルで、現代の感覚ではとても共感なぞできません。しかしそれは「貞女」のレッテルを貼り神聖視することで、おさんの理解不能な行動に対して思考を停止しているようにもみえます。私はおさんのことを知れば知るほど、貞女でも聖女でもなく、普通の、一人の<女性>だと思えてならないのです。
そんな女性・おさんに、魅せられた文豪も数多いるようです。『心中天の網島』に影響を受けたとされる作品のうち、主役である小春治兵衛の禁断の愛よりも、妻である前に<女性>であるおさんの苦悩に着目しているものの方が多いことは注目すべき点です。例えば太宰治はズバリ「おさん」という短編で、夫の浮気を感づいた主人公が独り寝の寂しさ苦しさを訴える際、中之巻の屈指の名シーンであるクドキの場面を引用し、おさんを想起させています。谷崎潤一郎の「蓼喰う虫」でも、仮面夫婦を続ける夫が、同場面に衝撃を受ける様子が描写されます。
確かにおさんの女性らしさに魅かれているのは共通していますが、これらを読むと、「女の業」が強調されているようで、こちらもまた、私が感じ取るおさんの印象と異なるのです。では検証がてら、ここで実際その名シーン(おさんのクドキ)の詞章をみてみましょう。
小春のことは思い切ったと未練がましく炬燵で泣いている夫をみて、こういいます。

〽一昨年の十月中の亥の子に炬燵明けた祝儀とて、まあこゝで枕並べて此の方、女房の懐には鬼が住むか蛇が住むか、二年といふもの巣守にして、母様伯父様のお蔭で、むつまじい女夫らしい寝物語もせう物と、楽しむ間もなくほんにむごいつれない

(訳)一昨年の十月の中の亥の子の日に、炬燵を開いた祝儀といって、ここで枕を並べて以来、二年の間というもの独り寝させておいて。ようやくお父さんとお母さんが意見してくれて、あなたも納得した上で小春さんと別れてくれる気だと思ったけど、違うのね…久しぶりにラブラブな二人に戻れるとおもったのに。本当にひどい。

と、かなり直接的な台詞を放っています。二年間も女性として放置されていたことにとうとう堪え切れなくなり、感情が爆発したとも読み解けます。
ちなみに江戸時代は、亥の日は火の災いを免れるという信仰から、炬燵や火鉢を出す日は旧暦10月の亥の日と決まっていました。更にイノシシは多産であることから、この日に夫婦の営みをすると子宝に恵まれるといわれていたそうです。「鬼が住むか蛇が住むか」という詞章も、「亥の子突き(※子どもたちが家々をまわり餅をもらう、現代でいうハロウィーンのようなもの)」の歌の文句をもじったものです。「鬼」や「蛇」という言葉の響きから女の業を連想させる効果があるものの、これはレトリックの一種なのです。
そのため私が女性・おさんの魅力を伝えるのならば、引用したいと思うのはこのシーンではありません。この後のクドキ<着物づくし>です。この場面は、小春の身請けのお金をつくるべく、質草として着物を箪笥から取り出す場面であり、その一枚一枚を懐かしむと同時に、楽しかった日々とも別離しなければいけない哀しみをも湛えています。何より泣く泣く手放す物が、女性にとって大切な<着物>であること、手に取る毎に、懐かしい思い出に浸ってしまうということも、おさんの女性らしさを引き立たせ、せつなさを感じます。更に、着物づくしにある「のきも退かれもせぬ中」とは、夫婦として一体となっていたとき、その時こそが女として幸せの絶頂だったということ。更に先のクドキと<合わせ鏡>になっていることにも注目していただきたいのです。「鬼が住むか」の詞章があまりにも強烈なため、夫に放っておかれフラストレーションの溜まる女房というイメージが先行してしまいがちですが、おさんの本質は後半のクドキ、かつて純粋に愛し合っていた日々を大切に抱きしめている姿にある気がしてならないのです。しかもその思い出を、愛する人たちを死なせないためと、きっぱり手放せる潔さも、おさんの人間的魅力でもあるかもしれません。
と、ここまでおさん像について散々語ってきましたが、そもそも彼女が実在したかは定かではありません。一説によるとおさんはこの事件の後、二人の一周忌をすませてから二人の子どもを実家に預け、尼になり、死ぬまで多くの女性の悩みを聞いたともいわれています。真偽のほどはわかりませんが、「おさん治兵衛」ではなく「おさん」という女性そのもの、生き様が今もこうして語り継がれていることは揺るぎない事実です。
大阪市西成区にあるおさんのお墓には、今でも多くの参拝者が訪れているそうです。

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