糸井幸之介×木ノ下裕一『心中天の網島』特別対談

明日に京都公演の初日を控えた木ノ下歌舞伎『心中天の網島』。初めてタッグを組むお二人に、これまでの経緯や稽古のこと、そして作品について幅広くお話いただいた特別対談です。

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まずお伺いしますが、お二人がお互いを意識するようになったのはいつ頃からでしょうか

木ノ下(以下・木)僕は、2012年に糸井さんの単独団体であるぐうたららばいの『観光裸』という作品を観たのが最初です。もちろん糸井さんのことは噂に聞いていましたが、「“妙ージカル”という手法らしい」くらいの認識で拝見しました。本当に、最終日に行ったのを後悔しましたね。もう一回観たかったから。それで終演後話しかけたんですよ、初対面なのに!

糸井(以下・糸)僕も「若くて、今売り出し中の木ノ下さん」っていう人がいるっていうのは認識してました。そのときすごくよかったって言ってくれて嬉しかったんですけど、なんか照れくさくて、そっけない態度をとってしまった記憶があります。失礼な話、男性か女性かもわからなくて…実際にお会いして余計あやふやなムードに包まれました(笑)

 いえいえ変な奴だなと思われたに違いないですよね(笑)『観光裸』っていう作品は今回の『心中天の網島』にも出演していただく日髙啓介さんと、女優の内田慈さんの二人芝居だったんですけど、元・立誠小学校というかつては本当に学校だったところが会場でね。不倫のカップルが、真夜中の学校に迷い込んで来るという設定ではじまる…

 それでイチャイチャするっていう

 そうそう(笑)窓から自然光がさしていて、京都という街そのものを作品に取り込んでいるような、巧みな演出でした。どこを切り取っても名作なんですけど、一番印象的だったのが、ラストシーン。カップルが缶コーラを飲んでいて、こぼしちゃう場面があるんですけど、それが伏線になっていて。最後、そのコーラに蟻が二匹たかっているのを見て、女性が「殺して」っていうの。で、男性が「いいよ」っていう。何を殺すのかなと思ったら、蟻を二人で殺す、そこで幕が閉じるんです。それを観て、「これを近松に見せたい、いや観たら嫉妬するだろうな」って思いましたね。以前から近松の心中物を、個人的なレベルの恋愛じゃないものとして上演したいと思ってたんですけど、演出家がみつからなかったんです。なのでそのとき、糸井さんでやったら面白いなと思ったんですよね。

そこからすぐにオファーされたのでしょうか

 いや、でもこれが問題で。あまりにも作品が完璧すぎて、僕満足しちゃったの。それから糸井さんの所属するFUKAIPRODUCE羽衣さんの作品も観続けて、もうファンのレベルで「好き!」って言い続けてたら、ある俳優さんから「そんなに好きなら一緒にやれば?」みたいなことをいわれて、初めて現実的に考えたんですよね。それくらい糸井さんって神々しい人だったの。だから最初は木ノ下歌舞伎に招くなんて!くらいの感じで。それで2014年に正式にオファーしたんですけど、そのときなぜ糸井さんとやりたいかとか、どう作品と合うかとか、熱弁しましたね。そこで断られたら終わりなので。

 僕は木ノ下歌舞伎を観たのは『黒塚』が最初ですね。歌舞伎と名はついていましたが、特に先入観もなく、普通に小劇場の舞台を観に行く感覚でした。オファーをいただいたときは率直に、作品が合いそうとか、自然に取り組めそうと思いました。稽古に入る前から、木ノ下さんと色々喋れましたしね。

 そうなんです。丁寧につくるためには信頼関係が大事なので、長い時間をかけて一緒に構想を練っていこうと思ったんです。だから糸井さんの別荘がある尾道にお泊まりにも行ったし、勉強会をしたり、喫茶店へ話をしにいったり、劇中の「橋づくし」に出てくる大阪の橋をめぐるというフィールドワークをしたり。要所要所で会ったなぁ。

稽古について伺います。歌舞伎の言葉をはじめ、古典を扱うことについての苦労などはありましたか

 違和感とか苦労はそんなにはなくて、すごく自然でした。木ノ下さんも隣にいてくれますし。山あり谷ありは普通にあるものですから、特に戸惑いはないかな。歌舞伎の型も「型」として受け継がれる前に、初めて出来たタイミングはあるじゃないですか。

 確かに糸井さんの稽古を拝見したら、「型」をつくってるなと思います。つまり、こういう風になってほしいというのが先にあって、そのためにこうやって、という提案をする。でもそれが段取りになってくると、戻してといったり、常に演技の形とそこに込められている感情を忘れないように組み立てている感じがすごくしますね。

 なんというか歌舞伎とか古いものには「疑う余地のない強さ」というのがあると思いました。でも演劇作品って、そのときの事情とかタイミングとかがあって出来ているものだから。自分が無知だからっていうのもあるんですけど、人の作るものって時代とかタイミングとか全部違うし、歌舞伎の場合は更に年月重ねてきたものがあるっていうのはもちろんあるんだけど、同じ様な「愛すべき人々」っていう感じで。

 「愛すべき人々」ってすごくいい言葉ですね。糸井さんの今の稽古を拝見しても、役の構想とか作られた歌を聞いてても思うけど、〈体感〉の人だなと思います。近松をはじめ、歴史や伝統への触れ方が、書物を通してとか知識とかでなくて、直に触れていくという感じなんです。だからそういう意味で、歌舞伎とか古典に対して物怖じしないんだと思います。理屈だけじゃない、質感とか温度とかを取り出して、糸井作品にしちゃうってことに鳥肌がたつんですよね。

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では糸井さんからみた「木ノ下裕一」とはどんな存在か教えていただけますか

 古典に対する愛情というか、言葉は悪いけどおたくともいえるじゃないですか。その愛情が、なんか…やっぱり思春期の頃とか大変だったんじゃないかと。デリカシーのない男子とかいたら大変だったんじゃないですか?

 (笑)でも僕結構アクティブで、古典芸能学級新聞を作ったりいろんな手を使って、どうにかして古典に興味を持ってもらおうという活動をしてたんですよ。糸井さんに「近松面白いでしょ〜」という今とあまり変わってないですね。

そんな二人が同じクラスにいたら・・・

 どうでしょう。仲はよかったでしょうね。今も自然体で接することが出来ますし、相性はいいと思います。木ノ下さんが気を遣ってくれてるのかもしれないけど(笑)

 いえいえ僕もノンストレスですよ。創作においても対人関係でも!

作品について伺います。木ノ下さんが今回音楽劇にこだわった理由を聞かせてください

 近松の原作は浄瑠璃の、つまり音曲の台本なので、語ったり歌ったりする事を念頭に置いて書かれている。それはやっぱり無視してはいけないんじゃないかなって思うんです。音楽的に近松を分解していくと面白くて、頭からお尻まで一曲といえるし、間にも挿入歌的な音楽や、能の謡曲とかが挿入されたりね。あとクドキっていうんですけど、オペラのアリアみたいに歌い上げるように展開される所はミュージカルですし。

糸井さんは稽古に入る前から作曲に入られたとのことですが、どのように世界観を掴まれたのですか

 うーん。木ノ下さんと色々話したし、やっぱり自然な感じで(笑)

 歌詞と音楽はどちらが先に浮かぶんですか?

 今回は特に、アレンジをmanzoさんにお願いするので、メロディが先なことが多いですね。もっと研ぎすまされていたような若いときは詞が先だったような気がしますけど…

 糸井さんが作る曲は、近松と糸井さんの往復書簡のような気がするの。だから近松の作品をちょっと抽出して広げる、みたいなことじゃなくて、糸井さんと近松は対等なんです。時代などを超えて、そこで作品を通して直にやりとりしている感じがしていますね。

舞台美術が少し特殊と伺いましたが、どのようなきっかけで思いついたんでしょうか

 今回の作品が、川だったり橋だったり、人間の力の及ばない大きな網のようなものに覆われているような世界のイメージがある、ということを木ノ下さんと話していて、思いついたんです。

 糸井さんが「命がけの恋なんだ。ちょっと間違えれば落ちて死んじゃうんだ。ぎりぎりのところを歩いている人達の話にしたい」っておっしゃって。つまり社会のルールなども含めて、あるところを歩かざるを得ない人間たちがいれば、こぼれ落ちちゃう人もいて、それが心中になるっていう。あとその舞台美術の上で歩いている人の、緊張感のある〈エロティックな身体〉みたいなことも聞いていて、なるほどなと思ったんですよね。

今後どのような作品になっていきそうですか

 心中に限らず、例えば恋をする、とか誰もが陥りかねないことじゃないですか。明日は我が身っていうか。それは「明日泥棒に入られるんじゃないか」という意味の明日は我が身じゃなくて、自分の心の中で起こる事で、今はないけど明日はどうなるかわからないみたいな。「こういう事人間ならあるだろ?」って意味じゃなくて、俺とは関係ない出来事だと壁をつくったり、それはないだろうと思うのもいいんだけど、それでも次の瞬間っていうのはわからない、誰のことにも起こる作品になっていくといいかなと思います。

 (深くうなずく)本当にそうですよね。あらためて、糸井さんって実際に触れていく〈体感〉の人だなと思いました。ドラマトゥルク的に補足すると、近松も、あなた達は心中を汚らわしいっていったり、事件にしたり、野次馬になったりしてるけど、心中してる人達だって同じ様な環境にいたし、あなた方だって心中することありえますよ、っていうことを伝えたかった訳で。今、近松が生きてたら糸井さんと同じ事を言ってるんじゃないかな。単純に恋愛の話だけじゃなくって、ニュースで騒がれる事件も、政治を含め事件とか事故とかも果たして自分にとって関係ない、ブラウン管の向こう側の話なのかっていうことはありますよね。そういうところに肉薄する作品になったら素敵だと思います。

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それでは最後にメッセージをお願いします

 自分たちがいいたいこと、近松がいいたかったと思われること、その演目が背負った歴史、そして糸井さんが持っている問題意識や人間観、世界観とかが、ちゃんとすり合わされたり喧嘩しながら、熱をどんどん高め合っていく。そういう作品になるように稽古してます。きっと泣けます。でも悲しいとか辛いとか、可哀想とか、言葉で説明できることでは泣かさないと思います。もっと違うものに対して泣けると思う。違うものが何かっていうのは、劇場で確かめていただきたいです。

 とにかく観にきていただきたいです。幕開きが京都ということもいいですよね。木ノ下さんとお会いするとき、あのへんを通ることがちょくちょくあったから。

 二人の出会いの地ですからね!

そんな京都での公演は、9月16日〜20日。東京は9月23日〜10月7日です。是非劇場でご覧下さい!