【義経千本桜】演出家|多田淳之介×主宰|木ノ下裕一 対談[2/3]

木ノ下×多田対談_アイキャッチ

『義経千本桜 —渡海屋・大物浦—』(以下、『渡海屋』)公演に向け、演出家と木ノ下歌舞伎主宰・木ノ下による生の声を、三回に渡る対談形式にてお届けする企画、第2回。2012年に『義経千本桜』通し上演の総合演出及び『渡海屋・大物浦』の演出を担当された多田淳之介さん。4年振りに木ノ下歌舞伎との再タッグが実現し、2016年版『渡海屋』一幕上演に挑みます。

多田演出は、古典をもの凄い力で現代へ引き寄せる(木ノ下)

[Q3]多田&木ノ下が仕掛ける2016年版『義経千本桜—渡海屋・大物浦—』とは?

多田 4年前の『渡海屋』は、『義経千本桜』通し上演のトップバッターという意味合いが僕の中では強かった。だから、少し派手目の演出をつけて、丁寧に物語を伝えるというより「勢いでどんどん行こう!」みたいなノリを大事に。

木ノ下 多田さんには通し上演の総合演出もお願いしていましたから。四幕構成の一幕目だからこそ出来たことも、逆に出来なかったこともあると思うので、その辺りはもう一度、多田さんと一緒に考えたかった。

多田 4年前は、本来『渡海屋』が持っているパワーを上手く引き出せたと思っていて、じゃあ今度は「一幕ものの『渡海屋』とは?」について考え直そうと。

木ノ下 多田さんが歌舞伎演目を演出する際の一番の魅力は、古典をもの凄い力で現代へ引き寄せる、あの磁力の如き強さ。「古典でしょ? 昔はこんなお話があったなんて、コテンはイイわねぇ」と仰るお客さんを“当事者”にさせてしまう、あの底知れぬ力ですよね。しかもその手腕が非常に繊細という。それで「木ノ下“大”歌舞伎」の初っぱなにカウンターパンチを喰らわせたいという狙いがあります。それと、最近の木ノ下歌舞伎は何十年も上演されていない幕を復活させたりしたので「古典本来の面白さが出ましたわね。原作主義はいいですね。」とか言われることが多くて。

多田 マニアックだな〜。

木ノ下 うん。もちろん、そういうマニアックさも大事、それも大事だけれど、いやちょっと待てよ、古典はそれだけじゃないぞと。だから今回、途中で怒って帰るお客さんがいても、それはそれでいいと思っています。勿論、わざと怒らせるようなことはしませんが。

多田 歌舞伎も演劇のひとつだから、普通の演劇として扱えばいいと思うんですけどね。歌舞伎好きの方は「そもそも歌舞伎とは……」という概念をお持ちだと思いますが、それを軽々と乗り越えていくのがキノカブの長所だと思っていて。今回、木ノ下歌舞伎文芸部からの依頼で、「木ノ下歌舞伎を本に見立てて、演出家がその帯コメントを考える」という企画をお願いされたんです。それで僕は「日本の演劇、再起動」というコピーをつけた。

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多田 2012年に『渡海屋』をやった時もそうだったけど、稽古をしながら「これが日本の演劇なのに、私達はなぜ歌舞伎をやってこなかったのだろう?」という違和感をずっと感じていました。それは今でも思います。もし歌舞伎が時代と共にダイナミックな変容を遂げ、現代人が当然のように歌舞伎を学び、そこから演劇創作を始めたとしたらどんな世界になっていたのだろう? と。一種のパラレルワールドみたいなことなんですけど、それについて凄く考えるし、常に意識しています。

木ノ下×多田対談_第二回フッター写真

最終回へつづく…


聞き手:園田喬し(演劇ライター/編集者)
http://www.land-navi.com/bite/

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