【東海道四谷怪談ー通し上演ー】俳優インタビュー⑩|岡野康弘

『東海道四谷怪談ー通し上演ー』公演に向けて、出演者の生の声をお届けします。
第10回は岡野康弘さんです。

2017年4月21日 森下スタジオにて収録

崩すものがない、難しさ

木ノ下歌舞伎には『勧進帳』(2016年)から2回目の出演になりますが、今回も稽古の過程から見ていて楽しいし、やっていて面白いです。前回の完コピ稽古は普通の会話のようなシーンがひとつもなかったので、それがかえって新鮮だったし、様式があった分、やりやすかったんです。でも今回の『東海道四谷怪談』では歌舞伎俳優さんがいつもの型よりも崩した演技をしていると思うんですが、僕たちには崩すものがないので、そこに辿り着く方法が難しかったです。ベースを探さないといけないし、単純にコピーするのでも方法が違うんだなと思いましたね。

役者にも見出せる、武士との共通点

今回演じる赤垣伝蔵は、赤穂浪士で四十七士の一人なので、このお話の中ではそのまま武士として出てくる、珍しい人です。今は浪人ですけど、武士としての面子を保つために討ち入りの準備をしているという、行動原理があるのが他の登場人物たちと違うかなと。武士というと距離がある気がしますが、現代の人だって自分が何者であるかってことを、自分で見つけたり、名乗ったりしないと何もないですよね。特に役者って、何によって自分が役者であるかということを証明するのが難しいじゃないですか。そもそも家を取り潰されちゃってる時点で武士じゃないし、終わってるんですけど。公演がないと役者であることの証明が難しいことと同じですよね。当時の武士っていうのも、戦がない中で、自分が武士であるってことを証明するっていう方法がなかったんじゃないかという気がしていて。しかも武士の一番大きな部分って「戦うこと」だから、戦がなくなってしまった時代では、仇討ちという方法でしか武士として死ねないし、生きたことにならないんじゃないかと思います。そこは譲れないんだっていうものを一個持っているっていうのは、現代の人に通じるというか、手がかりになる気がします。その先に“死”が待っているということを今の自分に置き換えるのは難しいですけど、討ち入りを果たすっていうことには、ロマンも意義もあっただろうし。存在意義という意味でも、現代で分からないことではないと思います。

キノカブの『東海道四谷怪談』は初演を観たんですけど、その時の印象は、こんな話だったのか!ということ。忠臣蔵と関係してる話だっていうのも知らなかったし、怪談話だと思っていたら、〈怪談〉っていうフォーマットを借りているだけで、怖がらせることが目的じゃないこともわかりました。僕は今のところ、お岩さんと小仏小平を中心に見ちゃうんですけど、小平は「してもらったことに対しお礼を返す」し、死んででもお世話になった人にお礼をする。それに対してお岩さんは「やられたことに対して、やり返す」。いい意味でも悪い意味でも、どちらも返すということですよね。礼と怨とで。だからお岩さんと小平が戸板返しでくるっとひっくり返るというのもよくできているし、どちらも自分の一個の命よりも大きいことを果たす人たちの話なのかなと。だからそういう意味でも、小塩田又之丞のシーンは通常はカットされるらしいですけど、絶対に必要だと思いますね。

飽きさせない6時間に

僕は木ノ下歌舞伎(の長尺作品)を何本か観てるんですけど、長いと思ったことはないんですよ。実際終わった時、身体は確かに疲れてるんですけど、もちろん飽きることはなくて。どんどん展開していくし、お客さんを惹きつける工夫があるし、邦生くんの演出もそんな感じだし。休憩を挟んだりしてても、一幕それぞれが引きのある終わり方をするし、早くこの続きが観たいって思うんですよ(笑)。だから今回も、早く次を見せてくれって思ってもらえるんじゃないでしょうか。

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