【東海道四谷怪談ー通し上演ー】俳優インタビュー19|亀島一徳

『東海道四谷怪談ー通し上演ー』公演に向けて、
出演者の生の声をお届けします。
最終回は亀島一徳さんです。

2017年4月19日 森下スタジオにて収録

自分が伊右衛門を演じることの意味

初演を振り返ると、チャレンジだらけで、緊張もプレッシャーも不安もあったと思います。悩む余裕すらなくて、必死にやるしかなかったです。でも「自分が伊右衛門を演じる意味」を見つけられてからだいぶ楽になりました。僕の知っている伊右衛門の一般的な解釈は、二枚目で格好良くて悪い人。でも僕は歌舞伎役者のように、格好良くはできない。だから「二枚目で全く共感できない、イカれたクールな殺人者」じゃなくて、もっと生々しいものとしてやるなら、(伊右衛門役が)僕である意味があるのかなと。
再演があると聞いたときは、めちゃくちゃ嬉しかったです。今の自分ならもっとこう出来るんじゃないかなということもあり、挑戦したいと思っていたので。
基本的に役の解釈とか、作品に対するアプローチは変わってないですけど、表現の仕方の面で、今回どこまでできるかな……という感じですね。

今までで一番自分に近い役

伊右衛門って、今まで演じた役の中で一番共感できる役。一番自分に近いと思います。僕はもちろんDVをやったり人を殺したりはしないですけど、追い詰められ方が共感できるというか。伊右衛門は国元の金を盗んじゃったりするし、愚かな部分もあるんですけど、そんな厳しい中で、奥さんが病気になっちゃうし、子供も生まれるし、仕事もなくなるし、なんなら家宝まで盗まれちゃうし。その、どんどん追い詰められて余裕がなくなっていく感じが自分に重なるんです。僕だったら、舞台なんかやらなければもっと楽な生活ができたかもしれない。そういう生活がままならない状況で、すごいスピードを出してるBMWが捕まらないのに、ボロボロの原付に乗ってる僕が違反金とられるみたいな時、「うっ」てなる気持ちは伊右衛門と共通するんじゃないかなと。もちろんスピード出し過ぎてるのは僕が悪いですけどね(笑)。でも自分に近いとか、共感できるからっていい演技ができる訳ではないので、距離感を保って、批評性を持って演じたいです。

祈るように演じたい

レクチャーの時に(木ノ下)先生が言ってくれた話から考えたんですけど、『東海道四谷怪談』の登場人物って、“大事にしているもの”があって、それがなくなった時に死んでいく。でも伊右衛門だけそういうものがない。与茂七は敵討ち、直助はお袖だけど、それで「伊右衛門は何なの?」と考えた時に、「可能性」なんだろうなと思ったんです。「そうなったかも・なるかもしれない」という可能性。例えば、高野家にさえ行けばなんとかなるんじゃないかとか。夢の場なんかは、お岩さんと幸せに過ごしているという可能性のシーンですよね。そういう「今ない可能性」にすがって翻弄されている。それをただ追い続けて、手に入れられずに死んでいく。可能性と言っても、希望とか、そういう綺麗なものではなく、どちらかというと諦めの悪さみたいなものかなと。僕は『四谷怪談』において、伊右衛門は救われたりはしないと思うんですけど、もし救いがあるとすれば、そのすがる可能性があるということじゃないでしょうか。今はクソ辛いけど、そうじゃないパターンを思い描くことで救われる。それで何か解決したり、オールOKということにはならないですけどね。本番まで手を抜かず、頑張ります。どうしたら楽になるんだろう、どうしたら救われるんだろう、そういうことも含めて。「こういうものだ」ということで片付けないで、ずっとそこを疑い続けて、自分も含めた、ままならないものたち・ことに対して祈るようにやれたらと思います。

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