知れば知るほど奥深い! キノカブ文芸部による『心中天の網島』のちょっとマニアックな豆知識 [第1回]

第一回
〈水〉と〈網〉で読み解く『心中天の網島』

木ノ下裕一

「近松門左衛門はいったいどんな頭脳をしてたのでしょうね…」
浄瑠璃『心中天の網島』を読んでいると、つい感嘆してしまいます。ストーリー展開の巧さは云うにおよばず、とにかく、全編、「掛詞」や「縁語」などのレトリックが、それこそ〈網の目〉のように張り巡らされていて、その巧みさときたら!江戸時代から〈作者の氏神〉と崇め奉られてきたのもうなずけます。ようよう、大近松!
さて、掛詞や縁語は、はるか万葉の時代から和歌などでもお馴染みの手法。近松以外の浄瑠璃作者も、いかに巧く掛詞や縁語を駆使して言葉を紡ぐことができるのかに、心を砕いてきました。しかし、近松は抜きん出て、その技巧に優れていると、私は思います。
たとえば『心中天の網島』冒頭部分。

「妓がなさけの。底深き。これかや恋の大海を。かへも干されぬ蜆川。(以下略)」

現代語訳しますと「遊女の情けが深く、これこそ恋の大海ともいうべきこの土地は、汲み干すこともできない蜆川新地。(諏訪春雄訳)」となり、遊里のにぎやかな情景を描写した詞章です。
うーん!素晴らしい!何が素晴らしいって、たった31文字の中に〈水〉にまつわる縁語
(「底」「深き」「大海」「かへも干されぬ」「蜆」「川」)が6つも含まれています。ここで、劇世界が一気に立ち上がります。
古地図などを見ると一目瞭然なのですが、かつて大阪(大坂)は水の街でした。今でこそ随分埋め立てられてしまいましたが、川、堀、水路が張り巡らされ、さながら網の目のようでした。川が、人や物を運び、暮らしを支えていた、水都・大坂の情景がぼうっと浮かび上がるようですね。
その上で、近松はそんな大坂の〈水の網〉と、主人公たちが絡め取られていく、入り組んだ〈柵(しがらみ)〉とをオーバーラップさせているのですね。
たとえば、「おさんのくどき」と呼ばれる後半のハイライト。治兵衛が小春を思い切れずに泣くのをみて、妻のおさんがこう言います。

「泣かしやんせ、泣かしやんせ、その涙が蜆川へ流れて小春の汲んで飲みやろうぞ」

なんともエロティックで秀逸な詞ですが、ここでも「泣く」「涙」「汲む」などの水の縁語を無理なくつなげつつ、おさんのやるせない心情が端的に描かれています。蜆川とは小春のいる曽根崎新地(廓)に流れている川のこと。蜆川は、治兵衛の家のそばを流れる淀川とつながっています。切っても切れない小春治兵衛の縁が「川」に表象されているのです。うーん、なんと奥深い…。そう考えると、心中に向う小春と治兵衛が、いくつもの橋を渡って死に場所(網島)に到達する有名な道行(「橋づくし」)は、死をもって柵を超越していくようで、なんとも象徴的な場面ですね。
しかも、しかもです。近松先生はそれだけじゃ気がすまないと見えて、川の網、柵の網に加えて、もう一つの〈網〉を描きます。それは、天上に張り巡らされた神意とも云うべき〈天の網〉。『心中天の網島』という外題(タイトル)を見てもわかるとおり、ここでは「網島」という実在する地名と「天網(てんもう)」を重ね合わされているのです。
心中する主人公たちを、いや、社会に生きる人々のすべてを、包み込むように天空に浮かぶ壮大な網-。作者の氏神は〈宇宙〉全体を描こうとしたのでしょうか。
近松の浄瑠璃の真骨頂は、そのダイナミックさにあるように思うのです。

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