[木ノ下の惚れた至芸]第一回 榎本健一

 

さて、ここで、私のイチオシ!とっておきのアーカイブをお届けします!
それは、「私の青空(マイブルーヘブン)」を唄う、最晩年のエノケン。
もうね、もうね、これを見ると、涙、涙、ただ涙、です。
なんていい映像なんでしょうねー。

壮年から晩年にかけてのエノケンには苦しいことが多かった・・・。
まず、芸風と時代との乖離、老いによる衰えを容赦なく批評家たちから指摘される。
息子の死、足の切断、病気・・・。
それでも義足をつけて舞台に立ち続ける、が、以前ほどお客に受けない・・・。
そして繰り返す自殺未遂・・・。
この映像は、それらを乗り越えて、活動している頃のエノケン。
お亡くなりになるまで、もう二年をきっているし、まさしく最晩年のお姿。

嬉しいのは、
自ら後継者と定めた坂本九ちゃんが司会であること。
この九ちゃんがいい!エノケンのそばに寄り添うように、さりげない気遣い。
それを受けて、エノケンが「少し(キーが)高いかもわかんないのよ、勘弁してちょうだいね」
このやりとり、
泣かせます・・・。
そして、
回りには、エノケンゆかりの人々・・・
坊屋三郎、柳家金語楼、そして田谷力三・・・などなど。
とくに浅草オペラ時代の戦友であり、好敵手であった田谷力三(九ちゃんの横・向かって左側)は、その衰えない声量を聴かせてくれています。

「夕暮れに仰ぎ見る 輝く青空
日暮れて たどるは 我が家の細道
狭いながらも楽しい我が家
愛のほかげの差すところ
恋しい家こそ 私の青空」

エノケンの人生も〈夕暮れ〉をむかえているところ。
楽しげに歌う、エノケンの眼によみがえった〈我が家〉って何だったんだろう。
浅草だろうか、同じ釜の飯を食ったエノケン一座だろうか、映画で忙しくしていた頃だろうか、それとも奥様だろうか。

エノケンの眼にうっすら涙が浮かぶ。

後半、どんどん声が出てくるエノケン。

大きく手を振り、カウントをとりながら、歌うエノケン。
みんなのリードをとるように歌うエノケン。

歌い終わりの拍手。拍手。
左右にお辞儀をするエノケン。

これが泣かずにおらりょうか!!!

これが、芸能者エノケンの幕引きだとしたら、
こんなに見事で、あたたかい幕の引き方は、ほかにはないと思う!

―――

【余滴】
エノケンについて考える時、どうしても忘れられないエピソードがある。
それは、エノケンがはじめて銀座に進出した時の話。
長らく根城にしていた浅草はいわば下町の象徴。一方銀座は上品で少し気取った山の手文化の粋を集めたところ。その落差は今よりもずっと激しく、強固なものだったろう。その舞台がハネた後、打ち上げの帰り道。酔ったエノケンは突如、犬の真似に興じ、銀座の大通りを吠えながら、這いながら、駈けずり回ったらしい。猿の真似でならしたエノケン、犬の形態模写も見事なもので、その熱の入れ方には狂気すら感じたという。演劇評論家の安藤鶴夫は、その時のことを「エノケンの、(銀座という街が象徴する)上流階級への反骨精神の現れ」を見た思いがしたと振り返っている。後世の私たちは、エノケンと聞けば、「天真院殿喜王如春大居士」という戒名が評するように、その軽妙洒脱な芸、天真爛漫さを一番に思い浮かべるが、影には、これほどまでに尖った、激しく痛切な感情を抱えていたのかと驚く。と、同時に、だからこそ一世を風靡する切れ味のある芸が成し得たのだろうとも思う。同時代への痛烈な情動、社会へのシビアな眼を持たない〈お笑い〉がなんになろうか、と、妙に納得するものがあるのだ。

 

 

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