主宰木ノ下、思いを綴るー糸井幸之介さん編ー

新約聖書のヨハネによる福音書は「はじめにロゴスありき」という一節からはじまる。我が国では、ロゴスは「言葉」と訳されることが多いが、本来、真理や秩序や思想といった意味を含んだ、いわば「神が語る言葉」という意に近いらしい。このロゴスから宇宙の森羅万象のすべてが生まれたのだそうだ。
糸井幸之介の作品世界が、常に感動的なのは、徹頭徹尾、彼独自の”ロゴス”に貫かれているからにほかならない。てんでばらばら、無秩序に見える私たちの褪せた世界を、糸井的ロゴスは見事に紡ぎ直してみせてくれる。人間の寂しさ、社会の冷たさを冷徹に描きつつも、その中での人と人の、陽だまりのような一瞬も丁寧に切り取る。かと思うと、大宇宙に比して、人間の存在など、塵芥のようなものじゃないか、思い悩むなど愚かなことよ、と、笑い飛ばす。が、けっして、ヒトが生きているということ自体の”哀しみ”からは目を離さない。性(セックス)を描きつつも、それを生(生死のテーマ)に転化させていく(だから、糸井さんの性描写にはセクシャルなエロさはなく、生きていることのエロスがある)。時には、虫や鳥や深海魚の視点を借りて、人類の幼稚さを揶揄したりする。
「世界はロクなもんじゃない。けど、捨てたものでもない」という糸井的ロゴスに導かれて、私たちは、再度、世界のカタチを新鮮に把握することができる。糸井幸之介というアーティストの”稀有さ”はこの一点に尽きるように思えてならない。
ということを伝えたら、きっと糸井さんは、あの細い眼を、もっと細くして「それは、言い過ぎですよぉ、木ノ下さん」と言うに違いない。見る者すべてを分け隔てなく大きく包み込み、寄り添い、赦し、諭し、慰め、導く、劇宇宙の小さな創造主は、いつだって謙虚なのだ。

木ノ下歌舞伎主宰 木ノ下裕一