生まれ変わる『糸井版 摂州合邦辻』~稽古場レポート

稲垣貴俊

2020年10月10日、土曜日。東京公演の劇場入りまで9日と迫った、木ノ下歌舞伎『糸井版 摂州合邦辻』の稽古場では、いよいよ創作も佳境にさしかかっていました。前回、8日の稽古では、これまで作られたシーンを繋げながら全編を通してみる、通称「荒通し」の稽古が行われたばかり。作品の全体像を把握し、ここから作品が練り上げられていきます。

自己紹介が遅くなりました。木ノ下歌舞伎 企画員の稲垣です。今回の『糸井版 摂州合邦辻』再演では補綴助手として台本作業に参加しました。しかし、私の主な仕事は補綴かぎり……というわけで、今回はようやく訪れた稽古場の様子をレポートさせていただきます。

この『糸井版 摂州合邦辻』は2019年2~3月に初演された作品で、レパートリーとして創作されたこともあり、このたび2年の月日を待たずしてのカムバック。しかし今回は、初演をそのまま再現するという方向性の再演ではありません。実際、稽古場に到着するや、さっそく「チャレンジしたいことがあります!」というマイク越しの声が聞こえてきました。声の主は、上演台本・演出・音楽の糸井幸之介さん(FUKAIPRODUCE羽衣)。木ノ下歌舞伎では『心中天の網島』(2015・2017)も手がけてくださっています。

『摂州合邦辻』は、大坂の街を舞台に、突然の病によって家督相続を断念して出奔した俊徳丸と、彼に恋する義母の玉手御前を中心に、俊徳丸の許嫁である浅香姫、玉手の両親である合邦道心・おとく……など、さまざまな人々の愛憎が交錯する物語。9月の記者会見で、糸井さんは初演について「原作に対してちょっと距離というか、遠慮があったのが心残り」だったと振り返られていました。「(初演は)青春のほろ苦い終わりというイメージがありましたが、再演はたくましく、大人の一歩という感じでやってみたい」とはご本人の談です。

実は、この日の稽古場では、このコメントを裏付けるような演出変更が行われようとしていました。糸井さんは「新しいアイデアを持ってきました」と一言。物語のクライマックス、「合邦庵室の場」で玉手御前が俊徳丸らに心の内を明かす重要なくだりにメスが入っていきます。玉手は俊徳丸に恋し、出奔した俊徳丸を追いかけてきたわけですが、その裏側にはある事情があって……。

ポイントは、表向きには自分の欲望に忠実に、愛する男性を追いかけ回した女性の身に、最後に何が起こるのかということ。玉手の置かれている境遇とは何か、そんな彼女を周囲はどう受け入れるのかということです。あ、もしかしてちょっと言いすぎてしまったでしょうか? しかし、この場面に仕掛けられているのは、糸井さんが再演に向けて、打ち合わせの早い段階からこだわられていたことなのです。

玉手役の内田慈さんは、新たに生まれ変わった結末を演じる上で、俊徳丸や合邦道心に語りかける言葉のトーンや言い回し、表情のひとつまで、試行錯誤と調整を重ねておられました。内田さんと糸井さんの間では「前回の解釈はどうしますか?」「そこは生かしたままでいきましょう」といったやり取りも。糸井さんいわく「ここから玉手は新しい部分に突入していく感じ。今までの積み重ねから、新たなところに進んでいくんです」。にわかに緊張感のにじむ稽古と話し合いがしばし続いた後、休憩時間に監修・補綴の木ノ下裕一先生(と呼んでいます)が私のところにやってきて、「今日は作品が大きく動く日」とつぶやいたのも、糸井さんの企みに対する静かな興奮、それから新しいことに取り組む緊張感が伝わってくるようで印象的でした。ちなみに稲垣のメモ帳には、稽古を見ながら勢いでペンを走らせたのか、「あんじつ(庵室)ラストがキモ(肝)」という走り書きが残っています。

ここで補綴助手らしいことを少し書かせていただくと、実は今回の再演、台本から全編を再検討しました。その結果、構成が一部改められ、糸井さんによる新規の場面と完全新曲(!)も加わり、一見そのままの場面にも調整が入っています。稽古場でも初演の内容が丁寧に見つめ直されてきたといい、初演から続投となる、合邦道心役の武谷公雄さんいわく「もはや新作の勢い」。同じく続投の伊東沙保さんや西田夏奈子さんらも、細かなせりふの変更から人物の心理を読み直し、“木ノ下歌舞伎恒例”である歌舞伎の完コピ(完全コピー)稽古を反映して、演技プランを組み立て直していらっしゃいました。

武谷さん演じる合邦は、初演とは一味違うアプローチ。娘・玉手への感情を内に秘める人物像のほか、合邦自身の複雑な背景を視覚的に匂わせる表現にも挑戦されています。玉手の母おとく役の西田さんは、俊徳丸の母親役も演じられていますが、今回は「“お母さん”という役割を背負いすぎなくて良い気がします」との言葉通り、振れ幅の広い、揺らぎのある母親像を見せてくださいます。伊東さん演じる玉手の“元上司”羽曳野は登場シーンも増え、玉手との関係性はより濃密に、人物としてはよりチャーミングになりました。

再演で加わっていただく、土屋神葉さん、谷山知宏さん、永島敬三さん、永井茉梨奈さんも、初演を継承しながら、作品に新たな魅力をもたらしてくださっています。土屋さん演じる俊徳丸のピュアな瑞々しさ、谷山さん演じる入平のユーモア、永島さん演じる俊徳丸の兄・次郎丸の屈折、永井さん演じる浅香姫のまっすぐな人間味……。もちろん、初演から続投となる飛田大輔さんのきらめく伸びやかさ、石田迪子さんの慎ましい豪胆さ、山森大輔さんによる軽やかさと重みのバランスも見逃せません……などと、出演者の方々について書き始めると文字数がどれだけあっても足りませんので、ぜひインタビュー集をお読みください。きっと、稲垣の紹介文よりもはるかに、みなさんの魅力がお分かりいただけるかと思います。

ともあれ『糸井版 摂州合邦辻』再演は、新たな顔ぶれによって、初演とは異なる切り口から人間模様が紡ぎ出される群像劇になっているのも見どころ。ドラマ性はそのままに、新旧キャストの化学反応が存分に味わえる第一幕、なかでも再演のために全面リニューアルされた「バウワウソング」にはご注目ください。

稽古中、出演者のみなさんは糸井さんや監修・補綴の木ノ下裕一先生(と呼んでいます)とのディスカッションを重ね、時には稽古場全体で初演の映像を確認し、休憩時間もせりふのチェックや掛け合いの確認を繰り返すなど、まさに微に入り細を穿つようにして作品の再構築にあたられていました。一同がマスクを着けたままの稽古ですから、表情をすべて見ることはできませんが、演技中はもちろんのこと、出番以外の稽古を見つめる姿や、話し合いの様子からも、その真剣味と集中力が十分に伝わってきます。みなさんは全編にわたって歌や踊りも務められるので、その仕事量と、現在の環境での大変さは想像を絶します。糸井さんと木ノ下先生の眼差しも当然真剣そのもので、演出席に立てられた飛沫対策のビニールを挟んで頭を寄せ合い、なにやら相談されている様子もしばしば見られました。補綴助手、ぼんやり見ていてすみません。

ちなみに、初演に続いて振付をご担当くださる北尾亘さんも、新曲も含め、今回も『糸井版 摂州合邦辻』の世界観やイメージを強力に支えてくださっています。残念ながら私は振付の現場に立ち会えなかったのですが、お話を聞くかぎり、稽古場でも大活躍されていたそう(ちなみに伊東沙保さんは「ジェントルなブルドーザーのよう」だったと形容されています)。初演から勢揃いしたスタッフチームによるパワーアップしたお仕事も、早く劇場で体感してみたい……などと、もはや稲垣は一人の観客として楽しみにしているありさまです。ほんと、ぼんやり見ていてすみません!

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