主宰木ノ下、思いを綴るー白神ももこさん編ー

 白神さんの作品に、だまされてはいけない。ダンスであることを逆手に取った批評的センス、くすっと笑える秀逸なギャグ、奇想天外な小ネタの数々が散りばめられているからといって、「諧謔に富んだ、ゆるゆるとしたダンス」だと思っていたら大間違いだ。ユーモアの向こう側には、常に白神さんのシビアな眼が光っていることを忘れてはいけない。その眼は「あんたたち、本当に笑っていられるのかね?」と静かに語りかけているのだから。白神さんは、世界の隅っこで懸命に生きる者たちを満身の敬意を込めて描く。それは時に、自意識が高すぎて上手く生きられない女の子であったり、空気のように影の薄い人であったり、身体が思うように利かなくなった老婆であったり、一匹のハエであったりとさまざまだが、みな、共通して格闘しながら生きている。その姿は尊い。しかし同時に、他人から見れば滑稽でもある。この絶妙な悲喜劇の“あわい”を掬い取ることができるからこそ、白神さんの作品は可笑しくて、やがて悲しい―。「これ、私のことかも……」とハッとしたり、「ちゃんと世界の隅々まで見えていなかったな」と己が鈍感さに気がついたりしたら、もう、さっきまでのように笑えなくなる。
 かつて「最先端であることよりも、末端でありたい」と語った白神さんの、目下の目標は〈寄り添うダンス〉を作ることだそうだ。すでに具現しているような気もするが、道半ばということにしておこう。白神さんのダンスに寄り添われることを欲している人が、この世界中にまだまだ沢山いることは確かなのだから。

木ノ下歌舞伎主宰 木ノ下裕一