木ノ下の“道成寺伝説”早わかりエッセイ

木ノ下裕一

現代では「安珍清姫伝説」と名高い、道成寺の物語(ちなみに、“安珍清姫”というネーミングは後世に定着したもので、本来は“道成寺伝説”と呼ぶのが正しいようです)。

この伝説が初めて文献に登場するのは、平安中期、『大日本国法華経験記』という仏教書の中です。主人公の女性は未亡人で、旅の僧は老僧と若僧の二人連れ……など現代の私たちが知る伝説とは多少の設定の違いがありますが、ストーリーの大きな流れは変わっていません。

平安末期、この伝説は『今昔物語』にも収められます。内容はほとんど『~法華経験記』のコピペなのですが、主人公の女性は娘という設定に改められるなど、全体に物語としての輪郭がくっきりしております。

つまり、仏教書から物語集へ、より庶民的な物語に変容していったということでしょう。

さて、のちに、この物語に絵がつきます。今も道成寺に伝わる『道成寺縁起絵巻』の登場です。

絵巻物は、手で巻き取りながら鑑賞する、いわば昔のアニメーションのようなものです。

中でも、女が蛇体に変身していく過程が克明に描かれていてなかなかの迫力で、さながら映画『シン・ゴジラ』のようですが、「蛇体」とは一体どんなものなのでしょう。

 蛇でしょうか、龍のようなものでしょうか……正解は、その両方。つまり、蛇と龍が合体したようなものなのだそうです。古代から蛇は邪悪なもの、もしくは人間と敵対する怪物なようなものとして描かれてきました。かたや龍は、龍神、つまり神様です。

 ちなみに、女が龍に変じる。または龍が女に変化するという話は、道成寺伝説以前にも確認することができます。経典『法華経』の「龍女の説話(変成男子)」などが有名です。龍神の娘が、お釈迦様の前に現れ、悟りを開いたことを証明して成仏(昇天)していく物語。ここでの龍女は聖なる存在として描かれています。

 つまり、道成寺の蛇体は、蛇の邪悪さと、龍の神聖さを併せ持った存在なのです。

仏教書から物語集(文学)へ、そして絵巻(絵画)へと変化しながら、道成寺伝説はいよいよ演劇化されることになります。能『道成寺』がその代表です。

 現代でも大変重い演目として、また人気曲として、たびたび上演されておりますが、能『道成寺』の最大の工夫は、道成寺伝説の後日談を描いたということでしょう。舞台は「鐘供養」の場面からはじまります。蛇体に焼かれて以降、道成寺は、長らく鐘がないままでしたが、二代目の鐘を建立しようということになった(新たな鐘のお披露目&法要が「鐘供養」です)。

その式典の最中に、謎の女(白拍子)が舞を奉納したいと道成寺をたずねてくる。実はその女性こそが、鐘を焼いた女の霊であり、次第に本性を現し、再び蛇体に変じていく……というのが能『道成寺』の筋書きです。

鐘焼き事件はすでに過去の出来事だという設定を採っているわけですが、正確に、鐘供養が行われている「いま」が一体いつなのかは明かされません。事件から数年後なのか、もっと長い時間が経っているのか……。

もしかしたら、鐘供養が行われているのはまさに“いま”で、私たち観客は白拍子が蛇体に変じる様をリアルタイムで覗いているのかもしれない……とすら思えてくる、このダイナミズムは、後日談の工夫ならではです。

近世に入り、歌舞伎や文楽も道成寺伝説を取り上げるようになりました。特に歌舞伎舞踊では、宝暦年間に初代中村富十郎によって初演された『京鹿子娘道成寺』(以下『娘道成寺』)が“決定版”と呼び声が高いわけですが、他にも、無数の「道成寺物」と呼ばれる作品が誕生しています。まさに一大作品群が出来上がったわけですが、興味深いのは、それらとは別に、道成寺を舞うことができなかった役者が、道成寺を強く意識しながらも全く新しい作品を残していることです。現代でもたびたび上演される『鷺娘』であるとか、『隅田川続悌(法界坊)』の「双面水照月」などがその代表ですが、『娘道成寺』のモチーフや設定を反転させたものや、隅田川に伝わる鐘伝説(鐘ヶ淵)を題材に採ったものなど、どれも皮肉と工夫に富んだ作品たちです。

道成寺を舞うためには人気、実力もさることながら、身体的な条件、芸風など、クリアすべきことが多くありました。ゆえに、それが叶わなかった役者たちの中に“道成寺コンプレックス”ともいうべき影を落としつつも、一種の起爆剤となって彼らを新たな創造へと向かわせたということでしょう。

さて、『京鹿子娘道成寺』には、「〇〇づくし」というくだりが何度も出てきます。

まず「鐘に恨みは数々ござる。初夜の鐘を撞く時は……」からはじまる「鐘づくし」。この詞章はほぼ能『三井寺』の「鐘之段」からの引用です。

他にも、日本国中の色町や遊里の名を軽快なリズムに乗せて詠み込んだ「廓づくし」、また、富士山にはじまり日本国中の代表的な山々を詠み込んだ「山づくし」などがあります。

『娘道成寺』は、能『道成寺』を歌舞伎舞踊としてアップデートしたものですが、なぜ、能にはない、そして一見、道成寺伝説とはなんの関係もないように思える、新たな詞章を挿入する必要があったのでしょうか。

『娘道成寺』には、「〇〇づくし」と呼ばれる箇所以外にも、当時の流行唄なども数多く挿入されており、さながら「一大歌謡メドレー」の様を呈しています。エンターテイメントである歌舞伎にとっては、「ただ面白いからそうしたまでだ……」ということなのかもしれませんが、重要なのは、それら引用部分、創作部分はすべて、「鐘」または「女」にまつわる内容になっているという点です。

例えば、能『三井寺』において「鐘」が重要なモチーフであることは言うまでもありませんが、主人公の狂女が寺に訪れるという設定も『道成寺』と共通します。「廓づくし」で描かれているのは、遊里で身を売って暮らしている遊女や、そこで働く禿(幼女)たちの姿です。「山づくし」で登場する山には、静御前の吉野山、紫式部の石山(石山寺)、姥捨山など「女」にまつわる伝説を有したものが少なくありません。

道成寺伝説を「鐘を焼いたある女の物語」というところから、もっと普遍的な、「さまざまな女の物語」に押し広げようとする意図が、『娘道成寺』にはあったのではないか……と考えるのは、深読みがすぎるでしょうか。
とにもかくにも、とあるお寺にまつわる説話から始まったこの物語が、長い歳月をかけて、様々なジャンルで描き直され、雪だるまのように膨らんで、より複雑に、そして、より豊かに、現代まで受け継がれてきていることに、静かな感動をおぼえます。

イラスト:木ノ下裕一