〈3密〉から読み直す『三人吉三』

稲垣貴俊

木ノ下歌舞伎『三人吉三』で補綴助手を担当しました稲垣です。「補綴」とは、簡単に言えば、演目にまつわるあらゆるテキストや資料を参照し、ベースとなる台本(底本)を決め、上演にふさわしいテーマや解釈のもと、今回のための台本を編集・執筆する作業のこと。原作を読み込み、案を練り上げ、構成表を作り、細部までこだわりながら、台本を“補”い“綴”っていきます。

『三人吉三』の上演にあたっては、2014年の初演時から、河竹黙阿弥の『三人吉三』は「〈三〉の物語」なのだというひとつの方針が立っていました。主な登場人物を見てみると、荒くれ者三人衆である「和尚吉三、お坊吉三、お嬢吉三」の〈吉三チーム〉、商人夫婦と愛人の「文里、一重、おしづ」からなる〈廓チーム〉、そして実の双子とは知らぬまま結ばれる男女とその父親である「十三郎、おとせ、伝吉」の〈夜鷹チーム〉というふうに、大きくいえば〈三人〉×〈三組〉の物語だと解釈することができます。2020年版も〈三〉という数字が際立つよう、シーンの展開やサブキャラクターの描き方など、補綴時にはさまざまな部分に手を入れていきました。

準備期間を経て、実際に2020年版『三人吉三』の補綴作業に取り組んだのは、2020年1月下旬から3月中旬のこと。木ノ下先生(と呼んでおります)と稲垣、密室にこもって一日数時間、深夜におよぶまで連日の作業を続けていました。しかしその時には、まさか〈三〉という数字が別の響きをもつことになろうとは思っていなかったのです。

「3つの密を避けましょう」。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、厚生労働省などがこの標語で対策を呼びかけ始めたのは、ちょうど密室での補綴作業が終わりを迎えたころの3月18日でした。〈3密〉とは、換気の悪い密閉空間、大勢が集まる密集場所、近くで会話する密接な場面のこと。のちに木ノ下先生とは、作業の日々を「あれは〈3密〉以外の何物でもありませんでしたねえ」と振り返りましたが、当時は大した抵抗感もなく、その後の状況もあまり想像していませんでした。我ながら楽観的だったな…と今では思います。しかしその後、テレビやSNSなどを通じて、日常における〈3密〉という言葉の存在感は「密です」のフレーズとともに大きくなり、仕事・プライベートを問わず、人と直接顔を合わせることはどんどん難しくなっていきました。

そんな状況になってから、『三人吉三』を読み直してみると、なかなかどうして、これが〈三〉どころか〈密〉の物語であることがどうしても気になってしまいます。たとえば、文里が一重のために通いつめる廓や、十三郎と夜鷹(街娼)のおとせが初めて結ばれる夜鷹宿は、言うまでもなく夜のお店。完全に濃厚接触です。また、十三郎とおとせの関係を父・伝吉が悟る「伝吉内の場」は、その名の通り伝吉とおとせの自宅で展開しますし、「吉祥院の場」では、追われる身となったお坊吉三とお嬢吉三が、小さな荒れ寺で後悔の言葉を口にします。かたや「大川端の場」や「大音寺前の場」などは広い空間で展開するものの、人が身を寄せ合って殺人などの悲劇が起こり、一方で廓通いに財産をつぎ込みすぎた文里は家を出られず強制Stay Homeと、まあ、ここまで来るとさすがに言いすぎでしょうか。

もっとも、こんな読み方ができてしまうのも、『三人吉三』がコミュニティ(共同体)をめぐるお話にほかならないからです。〈吉三チーム〉は義兄弟の契りで結ばれた三人、〈夜鷹チーム〉は血縁という逃れがたい関係性の三人、〈廓チーム〉は結婚という契約関係やそこから逸脱した関係性にある三人ですが、そもそも〈三〉とはコミュニティを形づくる最小人数。たとえば私たちも、誰かと二人で顔を合わせる時には「会う」と言いますが、三人なら「集まる」と言います。「三人寄れば文殊の知恵」、時代に合わぬ表現ながら「女三人寄ればかしましい」、さらには「三人寄れば公界(世間)」という言葉もあるほど。二人では足りない、しかし三人ならばという、一人の声が持つ厚み、チームになることの強さを示しているようです。ともあれ『三人吉三』においては、そんな〈三人〉×〈三組〉のコミュニティがそれぞれの危機にさらされ──本人たちが自覚するかしないかはさておき──共同体を存続できるかどうかという局面に置かれることになります。

人々が関係を深め、あるコミュニティが生まれ、そして成熟するためには、密閉空間・人が密集する場所・密接なコミュニケーション、少なくともいずれかの〈密〉が欠かせないものです。「〈三〉の物語」=「コミュニティの物語」である『三人吉三』は、だからこそ主に密閉空間で、密接な関係性とやり取りの中で物語が転がっていくのかもしれません。その密度の高さたるや、三人の吉三郎が義兄弟の契りを結ぶ場面を除き、なかなか晴れやかとは言いがたいもの。同時に、その濃密さが演目の魅力でもあります。したがって、人と会えない、集まれない、かつての日常がどう戻ってくるのかもわからない今、物語の見え方が変わることは必然でしょう。さまざまなことがオンラインに置き換わってはいるものの、このままでも既存のコミュニティを維持できるのか、新たに作り出せるのか、他者との距離を縮めることができるのかは誰にもわかりません。しかし現状が継続されれば、確実に失われるものが少なくないのも確か。これらはほんの少し前、密室で補綴にあたっていた時には思いもよらなかったことです。もしもまた『三人吉三』に携わる機会に恵まれたなら、その時はきっと大きな見直しが必要になるのだろうと、今は助手ながら思っております。


稲垣 貴俊

執筆業/木ノ下歌舞伎/THE RIVER。主に海外ポップカルチャーを対象に執筆・取材活動を展開。『ジョーカー』『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』『シャザム!』劇場用プログラム寄稿、ラジオ番組出演など。木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談―通し上演―』『勧進帳』『黒塚』『心中天の網島』などの補綴助手、トライストーン・エンタテイメント『少女仮面』ドラマトゥルク、KUNIO『グリークス』『水の駅』文芸を務める。