東京芸術劇場Presents木ノ下歌舞伎 『三人吉三』稽古Report(1)

取材・文 尾上そら

日常で当たり前のことができなくなり、さまざまなコミュニケーションの手段が制限されている未曽有の事態。ワクチンや治療薬、完全な対処法に手の届かぬウイルスを相手取る闘いに、全世界が直面することになるまさにその時期、木ノ下歌舞伎三度目の『三人吉三』への取り組みは始まった。

2月半ば、刻々と変わる状況を鑑みつつチラシ、ポスターのビジュアルやコピーが完成。公演情報の告知が本格的に動き出す。だが海外やクルーズ船での集団感染などが盛んに報道され、3月に入ると演劇のみならず音楽など、多くの人が集う公演、イベントの実施が見合わされるケースが増えていった。

4月7日には、ついに政府が緊急事態宣言を発令。新年度にもかかわらず学校は3月から引き続き休校、可能な限りリモートで外出は極力控えてという要請下、大規模な商業施設や飲食店も休業し、都内でも昼夜問わず目に見えて人通りが減った異様な光景を目にすることになった。

そんな緊張感の高まる4月半ば。上演への一縷の望みを託し、公演を主催する東京芸術劇場と協議を重ね、木ノ下歌舞伎はリモート稽古を始めることを決断する。キノカブ流の創作が初体験の俳優も少なくない、今回の座組では英断ともいうべきことだろう。

ネット上での会議ツールを使った演劇創作のための稽古。木ノ下歌舞伎にとって初の試みは、けれど「挑戦」という言葉では片づけられない、創作を諦めない強い意志表示とも感じられた。

稽古は主宰で監修・補綴を手掛ける木ノ下裕一による作品に関するレクチャー、今回の上演のため新たに補綴を加えた上演台本による本読み、歌舞伎役者による上演の映像を観ながらその場面の演技を完全にコピーするキノカブ名物“完コピ稽古”が、今回は各人自習の宿題となったためそのポイントを解説する講座、そして作品世界や役についての質問を俳優が持ち寄り木ノ下と演出・杉原邦生が答える質問会などの内容を、ほぼ一日置きに実施。4月終わりの本読みと5月頭の質問会を取材する機会を得て、下記にその様子をリポートさせていただく。

この日が3回目という本読みは、「30分講座」と命名された木ノ下による恒例のレクチャーから開始。この日のお題は「因果応報」で、作者・河竹黙阿弥の作品世界を貫く支柱となるべき思想が紐解かれていく。黙阿弥の書斎を描いた図絵、その机上には小さな人形がいくつもあるが、それを動かしながら複雑な人間関係を整理し執筆していたのではないかという話、自然災害や疫病の流行、飢饉などが続くうえ、維新という時代が大きく変わる局面を生きた黙阿弥の人生観に強く影響したのが因果応報の考え方で、作家の私生活は酒も女もやらぬ禁欲的なものだったなど、目からうろこの話題がわかりやすく説かれる。目に見えず人々を絡め取る因果を「お金」に置き換えた今作での黙阿弥の発想が、当時いかに画期的だったかという話には感心&納得の歓声が、一同から静かに上がる。

講座の終わりを木ノ下が「災害や疫病など、理由がわからない不条理な事態に遭遇し、世界の輪郭を見失った江戸の人々にむけて、黙阿弥は『三人吉三』によってその失った輪郭を描き直して見せた。それが作家・黙阿弥なりの同時代へのエールであり、彼のパッションだったのかもしれない。同じような状況下にある今だからこそ、この作品を上演する意味があるのでは」と締めると、演出の杉原も「初演から6年、この作品に取り組むのは三度目なのに、まだ新たな発見と驚きを与えてくれる講座」と絶賛した。

続くこの日の本読みは三幕一場「巣鴨在吉祥院・本堂の場」から最終景まで。一場ごとに止め、木ノ下の解説や杉原の解釈などを都度挟みつつ進んでいく。三人の吉三郎に役人の縄が迫り、因果の糸がグイと引かれるクライマックス。メンバーは既にリモートの環境に慣れているようで、台本の言葉に息吹が吹き込まれ、よどみなく物語が紡がれていく様は常の稽古にも遜色ないように感じる。

内田朝陽演じる和尚吉三は骨太で実に男っぷりが良い。三人の吉三郎の中では兄貴分、その頼もしい存在感と戯曲や役に対して繊細にアンテナを向ける俳優としての素の部分が拮抗し、フレッシュな魅力となっている。

お坊吉三の大鶴佐助は役の芯をしっかりとつかみつつ、黙阿弥の台詞に織り込まれた詩情を的確に声に乗せていく。調子のコントロール、発語の音程が確かなその台詞回しには、現段階でも心地よく身を任せられる。

千葉冴太のお嬢吉三はキリッと凛々しくチャーミング。華やかさの奥に潜む、複雑な生い立ちと育ち、今風に言えばジェンダーを見失った苦悩までが感じられ、強く惹きつけられる。

続く「巣鴨在吉祥院本堂土手、墓地の場」は、和尚の妹おとせと恋仲の木屋手代 十三郎(実は血の繋がった兄妹)が、お嬢とお坊の身代わり首として命を投げ出す場面。おとせ役の山﨑果倫、十三郎役の小日向星一両人とも実に初々しく、無垢な恋人同士の一途な想いと、残酷な運命を前に示す覚悟の潔さをしっかりと演じている。

さらに進んで「丁子屋別荘・座敷の場」はオールスターキャスト。産後の肥立ちが悪く、死に瀕している花魁・一重(山田由梨)と、必死に一重を励ます丁子屋の面々、一重を想う木屋文蔵(別名・文里。村上 淳)との再会、その様子を陰から見届けようとする文蔵女房おしづ(緒川たまき)と倅の鉄之助(森田真和)母子と、幾重にも重なる人間模様で終幕近くのドラマを盛り上げる。

山田は命消えかける刹那にも文里への愛と二人の間の息子・梅吉を想う一重の、ひたむきさが血を吐くように苦し気な台詞から立ち上がらせる。それを受け、けれど女房子供との間で板挟みになり、揺れる文里の弱さや迷いがたっぷりとにじむ村上の言葉には男の色気がしたたるよう。ひたすらに耐え忍ぶおしづの意気地を、緒川はちょっとした間など言葉と言葉の間にある空隙にも宿らせ、その発語の高い音楽性が黙阿弥の名台詞の魅力を引き出す。

劇中本役以外も複数役を演じる俳優が多く、花魁をこの場で演じるみのすけの軽妙洒脱さは群を抜き、篠山輝信も歌舞伎台詞にしっかり向き合い、誠実に言葉を場に置いていく。さらに木ノ下歌舞伎経験者である森田、緑川史絵、田中佑弥、高山のえみ、武谷公雄らが作品のベースになる空気やリズムを醸し、木ノ下歌舞伎の“らしさ”を構築してくれるのが小気味よい。

気づけばそれら声と言葉のうねりに引き込まれ、1時間があっという間に過ぎていた。最終景の「本郷火の見櫓の場」は、三人の吉三と捕り手との立ち回りのみで台詞がないため今日は保留に。杉原から「ここは14年、15年版を踏襲しつつも演出が大きく変わることになるかも知れない」と伝えられる。

ここまで、稽古そのものの回数は決して多くはなく、全てリモートだということが信じられないくらい、座組には共有する「息」があり、俳優陣の中には既にそれぞれの役が生々しく芽吹き始めている。歌舞伎への造詣、俳優としてのキャリアに関係なく全員が真摯に「木ノ下歌舞伎」という表現に取り組み、己がものにしようとしている各人の熱は、この舞台が大きな成果を結ぶ可能性を、日ごと確かなものにしていくに違いない。