木ノ下と遊山する -『義経千本桜』の“登山道”其の一

「キノカブを観る前に予習していきたいんですけどねぇ。なにから手を付けたらいいか……」とおっしゃってくださるお客様に出会うことがあります。たしかに魅力的な関連書籍や映像作品なども多いです。今作『義経千本桜』のようにメジャーな演目ならなおのこと。ですが、その方の興味関心の在り処によってヒットするものもマチマチでしょうから、これはなかなかの難問です。このミニコラムでは、ひとまず私のおすすめの予習法(もちろん復習にも使えます)を約五回にわけてご紹介していこうと思います。

まずは、『義経千本桜』という小高い山があると想像してみてください。しかし、この山、山頂に登るための登山道が無数にあります。ルートによって傾斜の角度や険しさや、見える景色が違います。しかし、どれも山頂を目指して歩いていることは変わりありません。気に入っていただける登山道があればいいのですが。

其の一 〈本ルート・原作道〉~「原作を読んでみる」

  • 難易度 ★★★☆☆
  • 総歩行時間 約5~7時間
  • 装備品 A4の白紙、ペン、お菓子
  • 絶景ポイント うねるような物語のダイナミックな眺め
  • 注意点 息切れ

まずは予習の王道、原作である浄瑠璃『義経千本桜』を読むというルートから。しかし、この道、わりと険しめです。特に浄瑠璃の文体に馴染みがないと、なかなか前に進まない!という事態にも。そのうち、自分が一体何のために、何を読んでいるのかもわからなくなって……そうなるともはや立派な遭難です。

遭難しないためのポイントは、「どの版を読むか慎重に選ぶこと」。ビギナーはできるだけ注釈や解説が丁寧なものを選ぶといいでしょう。たとえば、新日本古典文学大系『竹田出雲 並木宗輔 浄瑠璃集』(岩波書店)は注釈や語釈が実に丁寧で、知識を着実に増やしながら読むことができます。また、主な段(シーン)のみの収録ではありますが日本古典文学大系(つまり旧版)の『文楽浄瑠璃集』は、実際の現行文楽での演出や舞台装置の図まで追記されていて、脳内上演する楽しみが得られます。手練れには、持ち運びしやすい岩波文庫。装丁のカッコよさを重視するなら無骨な厚紙函に濃紺の表紙、箔押に天金と「聖書」のごとき日本名著全集『浄瑠璃名作集 下』などなど。古本屋さんや図書館でよくよく見比べてください(とはいうもののなかなか外出しづらい昨今ですね)。

そしてもう一つのポイントは、「人物相関図を描きながら読み進める」こと。登場人物が出てきたら、まず名前をメモ。そのうち、この人物は何者であるかが判明しますから、名前の肩のところにそれも追記。たとえば『義経千本桜』「渡海屋」では、冒頭に船問屋の「女房」なる人物が登場します(そう、浄瑠璃では、女性はただ「女房」や「母」と表記され、名前が出てこないことも多いので、混乱しやすいのです)。まず白紙に「女房」と書いてください。その横に肩書「船問屋の女房」と加えます。しばらくすると、この女房の夫は「銀平」という人物だということがわかります。「女房」の横に「銀平」と書き、線で結んで「夫婦♡」と付け加えます。単純なことですが、コレ、遭難しないためには大事。山道を登りながら、時々枝に印をつけたりして迷っても戻ってこられるようにしますよね。あれと同じです。人物関係がこんがらがったり、ストーリーが込み入ってきた際の心強い道しるべになってくれるはずです。あと、キャラクターを集めていく楽しさも、山登りの辛さを忘れさせてくれます。山鳥に遭遇するたびに写真に収めるとか、珍しい草花をスケッチするとか、そんなささやかな楽しみを用意していくと、辛い道中も気がまぎれますよね。あの要領です。

コツはあまり無理しないこと。息切れ禁物です。何日もかけてじっくり登るような気持で、お菓子なんかもつまみながらゆるゆると歩いてみてください。

『義経千本桜』は全五段の長編です。歴史(史実)を逆手に取ったスケールの大きな物語の世界を体感できるはずです。


日本古典文学大系『竹田出雲 並木宗輔 浄瑠璃集』
角田一郎(校注)、内山美樹子(校注)
岩波書店
 日本名著全集『浄瑠璃名作集 下』
日本名著全集刊行会(編)
興文社

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この記事を書いた人

1985年和歌山市生まれ。小学校3年生の時、上方落語を聞き衝撃を受けると同時に独学で落語を始め、その後、古典芸能への関心を広げつつ現代の舞台芸術を学ぶ。歌舞伎演目の現代劇化を試みる劇団「木ノ下歌舞伎」の主宰。
渋谷・コクーン歌舞伎『切られの与三』(2018)の補綴を務めるなど、外部での古典芸能に関する執筆、講座など多岐にわたって活動中。