木ノ下と遊山する -『義経千本桜』の“登山道”其の四

「キノカブを観る前に予習していきたいんですけどねぇ。なにから手を付けたらいいか……」とおっしゃってくださるお客様に出会うことがあります。たしかに魅力的な関連書籍や映像作品なども多いです。今作『義経千本桜』のようにメジャーな演目ならなおのこと。ですが、その方の興味関心の在り処によってヒットするものもマチマチでしょうから、これはなかなかの難問です。このミニコラムでは、ひとまず私のおすすめの予習法(もちろん復習にも使えます)を約五回にわけてご紹介していこうと思います。

まずは、『義経千本桜』という小高い山があると想像してみてください。しかし、この山、山頂に登るための登山道が無数にあります。ルートによって傾斜の角度や険しさや、見える景色が違います。しかし、どれも山頂を目指して歩いていることは変わりありません。気に入っていただける登山道があればいいのですが。

其の四 〈森林浴ルート・知識の森〉~「事典に親しむ」

  • 難易度 ★☆☆☆☆
  • 総歩行時間 1分〜一生
  • 装備品 付箋、ノート
  • 絶景ポイント “言の葉”の木漏れ日
  • 注意点 めまい

ひょんなことから、いい買い物をしました。最近は稽古場や劇場へ行く以外の外出を極力控えているので、資料などは専ら某古本サイトで買っているわけですが、その日届いたのは『説話文学辞典』(長野甞一編 東京堂出版)。

実は、欲しかったのは『日本説話文学索引』(清文堂出版)でして、どうやら間違えて注文してしまったようなのです。

しかし、この本、アタリでした。「説話」とは“事実として信じられてきた口承性を伴う話”のことと本事典では定義していますが、人名、神名、地名、それに説話のタイトルなどの項目が五十音順にずらりと並んでおります。しかも、項目の一つひとつは長文、その上、読み物としても楽しめる書き口なので飽きることがありません。試しに「義経」(人名)の項目の冒頭近くを引いてみましょう。

「義経伝説を論じる時、まず問題にされるのは、義経像の二面性についてである。すなわち、『平家物語』『源平盛衰記』にみられる断乎たる武将のそれと、『義経記』における優柔不断の敗将といての姿である。」

なるほど、サイコーのツカミです。このあと、二つの義経像を対比させながら、彼の人生を紐解いていきます。いやはや読み応え抜群です。

普段、書き仕事が多い私は、辞書や事典には散々お世話になっているわけですが、せわしない中で引くためか、大抵は必要項目を確認するだけの浅い付き合いになっておりました。ふと、初めて自分の国語辞典を手に入れた小学一年の春、「この一冊に世の中のあらゆる物事が入っているのか……」という興奮とともに、「龍」「西遊記」「狛犬」「印籠」などなど自分の好きなものを片っ端から引いていったことを思い出しました。

さて、『説話文学辞典』をキッカケに、空前の辞典マイブームが到来したわけですが、この波を逃してはなるまいと、とうとう清水の舞台から飛び降りました。ハイ、二年前から買おうか、買うまいか、散々悩み続けた挙句、やっぱり手の出なかった『平家物語大事典』(東京書籍)19000円(税別)を手に入れたのでした。総項目数1500、全900頁越え。「平家物語」研究の粋を集めた大書です。とりわけ、「平家物語」を基にした文学、美術、マンガ、映画などのジャンル別一覧リストは壮観。歴史、伝説、文学、サブカル……多角的に「平家物語」に迫るための強い強い味方です。

「税込み2万円越えなんて、ひくわぁ……」という方には、各巻のあらすじ、52人の登場人物、成立背景など基礎的知識を解説した『平家物語を知る事典』(東京堂出版)をおすすめします。2000円足らずなのに、なかなか情報量(付録の平曲のCDがまたいい!)です。ビギナーならひとまずこの一冊で事足りると思いますよ。今後何度もお世話になりそうな項目には付箋を貼っておくとか、発見したことはノートに書き留めておくなどするとより血肉になります。

事典の楽しさは、“目移り”です。ある項目を読む、すると、その前後の項目も気になってくる。例えるならば、買い物です。牛乳を買いにスーパーマーケットに行ったとします。欲しいものはたった一本の牛乳だったとしても、つい隣にある美味しそうなチーズも買い物かごに入れてしまう。すると、その隣の豆腐も気になってくる。あら、こっちには分厚い厚揚げが、水戸直送の納豆が……と際限なく欲しいものが出てきてしまう、あの感じとほとんど同じです。

汲めども汲めども知識欲が湧いてきて、次から次から興味が芋づる式に広がっていく。そして、知らないことがなんと多いことか……とめまいを覚える。

ぜひ、美しくも深い“知識の森”を歩いてみてください。

『平家物語大事典』
大津雄一、日下力、佐伯真一、櫻井陽子(編)
東京書籍
『平家物語を知る事典』
日下力、鈴木彰、出口久徳(著)
東京堂出版
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この記事を書いた人

1985年和歌山市生まれ。小学校3年生の時、上方落語を聞き衝撃を受けると同時に独学で落語を始め、その後、古典芸能への関心を広げつつ現代の舞台芸術を学ぶ。歌舞伎演目の現代劇化を試みる劇団「木ノ下歌舞伎」の主宰。
渋谷・コクーン歌舞伎『切られの与三』(2018)の補綴を務めるなど、外部での古典芸能に関する執筆、講座など多岐にわたって活動中。